私がまじめに考えてること

おはようございます。

今日は私が感じていることをまじめに書いてみようと思います。

私は大学の専攻は社会学部でした。
どうしても社会にある問題を勉強したくて、国立大学では唯一の社会学部に入った私。

社会学を学びたかったのは小学生の時の担任の先生が社会の沢山の問題を教えてくれた影響があります。
子供とも対等に向きあってくれた、すごい先生。今でも尊敬してます。

結果。
社会学
学問上では何の解決方法も見出せなかった、、、

貧困、宗教上の対立、人種差別、民族紛争、経済格差、環境の問題など、
こういう事実があって、こういう活動があります。それはわかりました。
しかし今の社会のパワーバランスがあって、変えられない歴史もあって、変えられない人たちがいて、
自分がどんなにがんばっても問題が解決できるという希望を見出すところまで学ぶことができませんでした。

現実を見るために学校を離れて世界を見たいと思った私はバックパッカーになり、
学生時に約25カ国を歩きました。自分の足で歩いて、自分の目で現実を見るという作業。

世界はそんなに暗くない。貧しいといわれる国でもちゃんとみんな“生きている”ということがわかりました。
逆に、日本はちゃんと“生きている”人が少ないなと思いました。

私が思う“生きている”人は時間にせかされないで、生活を楽しんでいる人。
家族や友達や伝統、大切にしたいものをわかっていて、守ることにすべてを惜しまないひと。
そして文化的な暮らしとは自国の食材で自国の調理法で食事を作り、家族や仲間と食事のプロセスも含めた時間を楽しんでいること。

 

食事は生命活動の基本です。
それを忙しさや、手軽さ、嗜好のあるがままないがしろにしている日本人は何か大切なことを見失ったのではと感じてしまいます。

食をもっと考えることによって、例えば肉食を控えることでメタンガスが減り環境もよくなるし、
肉を量産するための家畜用穀物が減ることが、貧しい国の子供が食べ物を口にできるということに繋がったりします。
個食をやめてみんなで食事をとることでコミュニケーションが増えます。心の問題を抱える多くの子供はコミュニケーション不足です。
生活習慣病をはじめとする病気が減ることは国家予算を圧迫している医療費の削減になります。

食事は、自分が世の中を変える一番身近で現実的な手段になり得るのです。


食事の選択は自分が有りたい社会の選択、私はそう思っています。

大学の教室では見出せなかった自分にできることが、今ちょっとだけ見えてきました。